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いんえいらいさん

陰翳礼讃

谷崎 潤一郎

「経済往来」1933(昭和8)年12月号、1934(昭和9)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 31,020 字 · 61 页

青空文庫

何でもそれは、後に火事で焼け失せた「松の間」とか云う廣い座敷であったが、僅かな燭台の灯で照らされた廣間の暗さは、小座敷の暗さと濃さが違う。ちょうど私がその部屋へ這入って行った時、眉を落して鉄漿を附けている年増の仲居が、大きな衝立の前に燭台を据えて畏まっていたが、畳二畳ばかりの明るい世界を限っているその衝立の後方には、天井から落ちかゝりそうな、高い、濃い、たゞ一と色の闇が垂れていて、覚束ない蝋燭の灯がその厚みを穿つことが出来ずに、黒い壁に行き当ったように撥ね返されているのであった。諸君はこう云う「灯に照らされた闇」の色を見たことがあるか。それは夜道の闇などとは何処か違った物質であって、たとえば一と粒一と粒が虹色のかゞやきを持った、細かい灰に似た微粒子が充満しているもののように見えた。私はそれが眼の中へ這入り込みはしないかと思って、覚えず眼瞼をしばだゝいた。今日では一般に座敷の面積を狭くすることが流行り、十畳八畳六畳と云うような小間を建てるので、仮に蝋燭を点じてもかゝる闇の色は見られないが、昔の御殿や妓楼などでは、天井を高く、廊下を廣く取り、何十畳敷きと云う大きな部屋を仕切るのが普通であったとすると、その屋内にはいつもこう云う闇が狭霧の如く立ち罩めていたのであろう。