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ちんじょうしょ
陳情書
西尾 正
「ぷろふいる」ぷろふいる社、1934(昭和9)年7月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,750 字 · 38 页
上の境内には待合や料理屋の如きものは在る筈はありません。偖は暖かいので散歩と洒落るのか、と思いつつ、私も急ぎ車を捨てて二人が上り切った頃を見計って石段を駈け上って行きました。
私が斯うして尾行して居る裡に、異常な快感の胸に迫るのを覚えた事を告白しなければなりません。他人の弱点を抑え雪隠詰めに追い詰めると云う事は気味の宜しい事で、殊に自分の女房が美しい女に成り済まし男との、RENDEZ-VOUS の現場を取押える事は、淫虐的な興奮さえ予想させたので有ります。妻と其の誰とも判らぬ男は、人無き境内の御堂の傍のベンチに腰を下して、其の背後の樹立に私の潜んで居る事も知らずに、堅く手を組み合わせ肩と肩を凭れ合わせた儘、暫しは動きませんでした。高台であるが為に二人の縺れ姿が、ぽっかりと夜空に泛び上り、其の空の下には十一時過ぎの街衢が眠た気なイリュミネエションに瞬いて居ります。余程の馴染なので有りましょうか。二人はかなり永い間沈黙を続けて居りましたが、閣下よ、最初に彼等の口から洩れた音と云うのが、何と、哀調綿々たる歔欷では有りませんか?
凝然黙って居た二人は、同じ様に肩を顫わせてしくしくと哭き始めたのであります……。