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ざっきょかぞく
雑居家族
壺井 栄
「毎日新聞」1955(昭和30)年3月25日~8月15日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 140,106 字 · 283 页
なぜなら、あれから十年たっているのに、その青年にまさると思う相手に音枝は出会えないではないか。
工場の防空壕は少しはなれた裏山にあった。警報とともに、みんなは一目散にそこへ向ってかけつけた。身軽で足の早い音枝は、何人もの人を追いこして、まっ先に防空壕へとびこむのが得意だったが、ある時ふと、自分の前をつえもなく足をもつらせて歩いている青年をみて、思わず手をさしのべ、手近の壕へ引きずりこんだ。それ以来彼女は、警報が出ると彼を迎えにゆき、手を引っぱって走った。左手を肩にかけておぶって逃げたこともあった。彼の心臓の高鳴りが、汗ばんだ背中をとおして音枝の胸にひびいた。壕まで足がのびず、かや原にふしたこともあった。そしてあるとき、あらしのあとの静けさのような中で、ふたりは将来をちかい、ふたりだけで戦争を憎んだ。最後の日、音枝は彼をさがしあぐね、ひとりで逃げた。彼はついに壕へやってこなかった。逃げおくれたのであろう。直撃をうけて火災をおこした工場はあらかた燃えつくし、彼の姿は十数人の犠牲者とともに生きながら煙となったのだ。その身につけたものの片りんさえも見つからなかった。