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あめ

雨

織田 作之助

「海風 第四巻二号」1938(昭和13)年11月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 30,421 字 · 60 页

青空文庫

胃腸のわるい紀代子はしば/\下唇をなめる癖があるのだが、その時も勿論なめていた。豹一は物も言わずにいきなりパッとかけ出し、逃げ去ってしまった。紀代子はあっけにとられた。あんな恥しいところを見られたので、自分は嫌われたと思いこんでしまうと、もう豹一は紀代子に会う勇気を失ってしまった。彼が二三日顔も見せないので、彼女は何か物足らぬ気持であったが、それが一週間も続くと、あんなに仲善くしていたのに、ひょっとしたら自分は嫌われたのではなかろうかと思い出した。そして、十日も経つと、もう彼女は自分が明らかに彼を好いているということを否定することが出来なかった。だから十三日目に、やっと上本町六丁目で彼の姿を見つけると、ほっとしてひどくいそ/\としてしまった。しかし、豹一の方では彼女に会うつもりではなかったのだ。偶然に出くわしたので、もう顔を合わすのすら恥しいと思っていた彼はいきなり逃げ出そうとした。途端に早くも自尊心が蛇の様に頭をあげ、逃げ出そうとする足にからみついた。あんな恥しいところを見せたのだから名誉を恢復しなければならない。豹一は辛くも立止り、そしていやに他所々々しくした。