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きりのなか

霧の中

豊島 与志雄

――「正夫の世界」――

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,920 字 · 40 页

青空文庫

」

チビは耳をかいて黙った。それからさも内緒らしく云った。

「君は知らないだろうが、あの晩、家に帰って、床にはいってから、お父さんは泣いていたよ。」

「うそだよ。僕は床にはいってから、うれしかった。」

「お父さんの方は、ほんとに泣いてたよ。」

「…………」

「眠ってからも、涙が眼から出ていたよ。」

「どっちだって同じことだ。」

「おかしいね、君はいつもちがうちがうっていうくせに、それだけが同じかい。」

「ちがうものはちがう、同じものは同じだ。」

「当り前じゃないか。」

「そうだよ、だから、それでいいんだ。」

「まあいいや。とにかく、霧の晩てへんなもんだな。」

「あれから僕は、霧の晩はいつも外を歩くことにしている。こないだも……。」

それは、晩ではなかった。然し山国の濃霧の日は、昼も晩と同じだった。なおよく云えば、永遠の夕方なのだ。温和な天気だったのが午後になって、霧が出てきて、それが刻々に濃くなり、深さも幅も分らない仄白い渦巻きとなった。正夫は外にとびだした。爪先上りに野原の中を、泳ぐように歩いていると、時々、森の一端が現われたり消えたりして、その向うには一層深い霧が淀んでいそうだった。