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あおバスのおんな

青バスの女

辰野 九紫

「新青年」1929(昭和4)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,918 字 · 22 页

青空文庫

その新看板に、よせばよいのに、何の足しにもならないが、不思議に何店でもやっている通り、羅馬綴りでSAKACHITAと、店名が入れてある。さはさり乍ら、この店主、姓をサカチタとは申さで、坂下であるのを看過出来ないのが、僕の性分である。といって、のこのこその店へ入り込んで、天下の重大事である如く、誤記を指摘訂正してやる勇気をも有たぬ性分でもある。そこで、全国一斉に、「番地札を掲げましょう」の国家動員で、近頃大に助かる。新らしき床屋の番地を、心底深く牢記して呑み友達の家で、酒盃を挙ぐる間に忘れもせず、自家へ帰ってから、CとSの書損いを、ハガキで注意してやるのである。――どうもこの場合、住所姓名を書いてやると、兎角日本人という奴の国民性が然らしむるのか、無料理髪券でも謎をかけたように思われ勝ちな気がして、本姓を名乗る気になれないのは、敢て僕ばかりではあるまい。

そうして置いて、頃合いを計って、府下大井町へ出掛けるのは、呑み友達の家が終点ではあるが、酒よりも先ず床屋の看板が、果して訂正されているか否かを確かめるのが楽しみなのである。案の定、Cの字が一壁、ペンキで塗りつぶされて、Sの字が、ちと他の文字と釣合いを失いながらも、盛り上っているのを見ると、僕は無上に悦しくなって、つかつかとその店へ入って、僕自身の理髪日を