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ひだのかお

飛騨の顔

坂口 安吾

「別冊文藝春秋 第二三号」1951(昭和26)年9月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,316 字 · 31 页

青空文庫

飛鳥寺というのは大和の飛鳥ではなくて今のミノの武儀郡あたりにあったんではないかね。聖徳太子の七大寺のうち定額寺(葛城氏に与えた)というのは、ミノか伊那であろう。物部守屋が像をすてたというナニワの堀江はミノの武儀郡と稲葉郡のあたり、入海がカガミガ原まできていた頃のその海ちかい堀江だろうと思う次第がある。今はそこに南波という地名があるとだけ述べておきましょう。くわしい探偵の結果は後日にヌキサシならぬ物的証拠をとりそろえて本格推理日本史を書くことに致します。

推古天皇の小治田の宮は尾張田の宮とよむのだろう。大和にも皇居はあったであろうが尾張田が暗示するように尾張の国境にちかいミノの地に居城があったと私は思う。この天皇の陵は、大野岡の丘の上より後に科長の大陵へ移されております。大野というのはヒダ、ミノから越前にもまたがるヒダ王国の要点たる大野郡を指すのでしょう。庶流がハッキリと大和飛鳥にその勢力を定めてから、自分の歴史に必要な皇陵や神社を大和へ移したり造ったりしている証拠の一ツです。ですから、大和よりも早くヒダ、ミノには寺があったに相違ないと思う。長野に善光寺があるのもフシギではないのです。