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まぞう
魔像
林 不忘
新版大岡政談
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 131,494 字 · 260 页
といい条、発見けた以上は役目柄叱らない訳にもいかず、そんなことをしていては日もまた足らずなので、そこで歴代の大目附が、経験と必要に即して案出したのがこの咳払いである。大目附は、登城下城に城中を通るとき、えへん、えへんと盛んにこの出もしない咳をして歩く。殊に、若侍の多い溜りへでも近づくと、咳のしつづけである。だから、城士のほうでも心得ていて、このえへんが聞えて来ると、さあ大目附が通るというので、警め合って坐り直す、襟を掻きあわす、袖口を引っ張る、そこらを片付ける、急に忙しそうに書類などをめくり出す――一時的だが、咳払い一つで立派に綱紀粛正の目的を達していた。とりわけこの近藤相模守茂郷は三十一の時に大目附へ召し出されて、七十七歳まで勤め続けて来た殿中の活字引である。まるで一生を咳払いに送って来たようなもので――そら来たと御番衆が他所行きの顔を並べていると、一段猛烈に咳払いをしながら、前の廊下を通りかかっている。
口をもぐもぐさせて、両手を袂へ落としている。これは正月のことで寒いから、老人だけに袖の中に温石を持って、手を温めているのである。
ちょっと立ち停まって、新御番詰所に控えている番士一同を霞のように見渡しているから、何か言うかなと思うと、そのまま何にもいわずに、大きな咳払いを一つ残して往ってしまった。