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「の」のじのせかい

「の」の字の世界

佐藤 春夫

「読売新聞 夕刊」1953(昭和28)年10月24日

N4 · 入门 · 新字新假名 · 1,431 字 · 3 页

青空文庫

うたちゃんは、三人兄弟の末で、来年からは幼稚園へ行こうというのですが、早くから、自分ではお姉ちゃん気どりで「えいちゃん」「えいちゃん」と、自分をよんでいます。「えいちゃん」とは、ねえちゃんのかたことなのです。

うたちゃんは、「えいちゃん」だけに、二つ上のなき虫の兄がなくと、すぐ手ぬぐいを持って行って、なみだをふいてやったり、頭をさすったり、まことによく気のつく、りこうな子なのです。それだのに、どうしても字をおぼえません。なき虫の兄さんの方は、うたちゃんの年ごろには、だれも少しも教えないのに、野球かるたで、平がなはすっかり読み書きをおぼえ、それからは、すもうの名まえといっしょに、その本字までたくさんおぼえていたものです。兄弟でも、これほどちがうものか。うたちゃんも、今にはひとりでおぼえるだろう、といっていても、なかなかそのけぶりもありません。うたちゃんは、え本でもなんでも、あけてみてはすぐおもしろいお話をこしらえて、みなひとりで読んでしまうのです。これでは、まるで字の必要もないわけなのだ、と気がつきました。それにしても、自分の名まえぐらい書けないではようち園でもこまるだろう。