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ひとわれをこうしきしゅぎしゃとよぶ

ひと吾を公式主義者と呼ぶ

戸坂 潤

「中央公論」1937(昭和12)年8月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,981 字 · 19 页

青空文庫

だが教養とシステムとは切っても切れない関係に立っている。教養は勿論ただの教養効果や知識所有量や又お品の好さと一つではない。教養という観念を人格者論式に見ることも不充分であると共に、之をアカデミー主義から見ることも不充分だ。ただ修養したり又ただ勉強したりしたって教養にはならぬ。教養には見識のシステムがあって、それが事毎に発動して肥えて行くということがなくてはならぬ。そしてシステムの発動にはいつも公式というものが陰に陽に必要なのである。あれも之も知っているということは、花嫁の嫁入資格ではあっても、教養とは関係が無い。知識相互の間にカテゴリーの上での統一がなくてはならぬ。アカデミーにはアカデミー特有の、一般ジャーナリズムにはジャーナリズム特有の、低能現象があると思うが、文壇の低能現象はシステムの意識を自覚することの乏しい処にあるので世間では之を指して文壇に教養がないといっているのである。

板垣鷹穂氏の言葉に、「味の素」評論家ということがある。ホーレン草にも沢庵にも同じ批評を振りかける評論家のことを指すらしいが、併し案外教養というのはこういう、人間の「味の素」