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わがちち

わが父

宮本 百合子

「中央公論」1936(昭和11)年6月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,314 字 · 19 页

青空文庫

術をも会得して行ったのであった。

一年前の五月九日、翌る朝から自分の境遇が激変するとも知らず、私は午後から本郷の父の家へ遊びに行った。一昨年母がなくなってからここには父と弟夫婦と妹とが暮している。生れて半年ばかりの赤坊もいて、お祖父さんになった父は私を自分の隣りに坐らせて大賑やかに晩食をした。九時頃になったとき、私は自分宛に来ていた雑誌などを帛紗に包みながら、

「さあ、そろそろ引上げようかしら」

と云った。父は、渋い赤がちの壁紙を張った食堂の隅の安楽椅子にくつろいで、横顔をスタンドの明りに照らし出されていたが、

「なあんだ、泊って行くんじゃなかったのかい」

と如何にも不本意げに云った。

「帰ったって誰もいやしないじゃないか。泊っといで! 泊っといで!」

手をのばして、椅子のわきに立っていた私の手を執った。

「真暗なところへ帰ったってしようがないだろう?」

「うん――でもね、明日の朝までに書いてしまわなけりゃならないものがあるの」

手を執られたまま私は椅子をまわって父の足もとにあった低い足台に腰かけた。薄綿のどてらを着た父の膝に半ばもたれるように腕をおき、しばらく喋って私は、