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わがまち
わが町
織田 作之助
「文藝 第十巻年十一号」改造社、1942(昭和17)年11月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 25,869 字 · 52 页
そんな風にだんだんに人数が減って行き、心細い日日が続いたが、やがて、第二回、第三回……と引続いて移民船が来て、三十六年中には六百四十八名が、三十七年中にはほぼ千二百名がマニラへ上陸し、マニラ鉄道会社やマランガス、バタアン等の炭坑へ雇われる少数を除き、日給一ペソ二十五セントという宣伝に惹かれて殆んど全部ベンゲットへ送られて来た。内地では食事自弁で、五六十銭が勢一杯だった。一ペソは一円に当る。なお、ベンゲットでは、食事、宿舎、医薬はすべて官費だというのだ。
けれど、来て見ると、宿舎というのは、竹の柱に草葺の屋根で、土間には一枚の敷物もなく、丸竹の棚を並べて、それが寝台だというのである。蒲団もなく、まるで豚小屋であった。
食物もひどかった。虫の喰滓のような比島米で、おまけに鍋も釜もない故、石油缶で炊くのだが、底がこげついても、上の方は生米のまま、一日一人当り一封度四分ノ三という約束の量も疑わしい。副食物は牛肉又は豚肉半斤、魚肉半斤、玉葱又は其の他の野菜若干量という約束のところを、二三尾の小鰯に、十日に一度、茄子が添えられるだけであった。
たちまち栄養不良に陥ったが、おまけに雨期になると、早朝から濡れ鼠のまま十時間働いてくたくたに疲れたからだで、着がえもせず死んだようになって丸竹の寝台に横わり、一晩中蚊に食わ