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ドーヴィルものがたり

ドーヴィル物語

岡本 かの子

「経済往来」1933(昭和8)年10月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 21,723 字 · 44 页

青空文庫

まあ朝の御挨拶をしましょうね。ボン・ジュール・モン・プチ。

そしてナプキンを彼の胸に挟んだ。

――ところであんた、何を喰べるの。散歩したんでお腹が空いたでしょう。

彼には今、怒る勇気も抵抗する気力も無いのだ。

――僕はこれが好い。

小田島はグラスに酒をついで呑んだ。一杯では胸の渇きは納まらない。

黒パンにチーズを塗り乍ら、じっと彼が酒をるのを眺めて居た女は、此種の女の敏感に伴う微な身慄いを身体中に走らせたが、最後に歪めた眼をだらしなく緩めると力の抜けた様にパンもナイフもテーブルへ抛げ出して云った。

――やっぱりそうだ。この人はイベットに逢って来たんだ。

小田島はすこしてれた様子で手を止めず、ぐいぐいグラスを呑み干すので、女はいくらか気を呑まれて呆然と見て居た。が、やがて椅子を離れてしょんぼり着物を着初めた。

――まあ宜いだろう。折角喰べかけたご飯だけでも喰べてからにしたら。

斯う云う小田島に女は何の返事もし無いで、すっかり着物を着てしまい、髪も手早く直した。そして小田島の傍に来て手を差し出した。

――如何したと云うんだい。あんまりおとなしくなり過ぎたじゃ無いか。