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レモンのはなのさくおかへ

レモンの花の咲く丘へ

国枝 史郎

「レモンの花の咲く丘へ」東京堂書店、1910(明治43)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 71,016 字 · 142 页

青空文庫

従者 どうしてお殿様は、たしかにそうだとお気づきなされました。

領主 あの女子がそう申した。

従者 不思議のことでござりますな。(と考える。この時、領主の一人息子にして、先妻の遺子たる公子の住する、高殿よりバイオリンの音聞こゆ)

領主 (耳をすまし)あれは誰が弾くのだろうな。

従者 (高殿を見上げ)若様でござります。

領主 (耳を澄ませるまま)あの切れ切れに鳴る悲哀の音は、確かに短ホ調だ。

従者 涙のこぼれるような音でござりまする。

領主 (耳を澄ましながら窓を離れ、高殿に近寄り)、そうだ確かに短ホ調だ、ああ短ホ調が歌っている。

従者 何んと歌っているのでござりましょう。

(領主無言にて耳を澄ます。従者もその後にひき添って耳をすます。バイオリンの音に連れて、死に行く人魚の歌聞こゆ)

幻の美しければ

海の乙女の、

あわれ人魚は

舟を追う、

波を分けて舟を追う、

月は青褪めぬ、

屍に似たる水の色。

領主 (驚きにうたれ)あれは「死に行く人魚」の歌だ。

従者 (声をふるわせ)ああ悪い前兆でござります。

領主 一度も歌ったことのないあの歌を、今日に限ってあれが歌うとは、どうしたことだろう。

従者 決してよい前兆ではござりませぬ。