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ひとつのめばえ

一つの芽生

宮本 百合子

「新日本」1918(大正7)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,627 字 · 29 页

青空文庫

その日は午後からズーッと家に帰っていた私のところへ病院から電話が掛って来た。

「奥様が、お嬢様をお呼びでございます」

とくやという女中が、いつもの通りにこにこしながら、ゆっくりした言調で私を呼びに来た。その様子を見たばかりでも、もう何ということはない軽い「おどけ」を感じていた私は、受話器を耳にあてると、殆ど無意識に、

「モシモシ奥様でございますか」

と、半分笑い、半分作り声をして云った。もちろん、忽ちふきだす母の大きな心持いい声を予期していたのである。

けれども、どうしたのか何の響きも伝わって来ないので今度は作り声をやめ、少し不安を感じながら、

「モシモシおかあさま」

と呼んでみた。

するといきなり、ふだんの母とはまるで違った声が、激しく、

「百合ちゃん、百合ちゃん! 道男さんの頭が変になってしまったよ」

と、終りの方は殆ど嗚咽(おえつ)と混同しながら、極度の混乱をもって叫ぶのを聞いた瞬間。

あらゆる力が、サアッと流れきってしまったような疲れに似た感じに撃たれると同時に、途方もない力をこめて反射的に受話器を置いてしまった。

一声の返事をも与えなかったに拘らず、これからのことが皆母にも自分にも解っているのを感じた。