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せんきゅうひゃくさんじゅうにねんのはる

一九三二年の春

宮本 百合子

「改造」(はじめの約15枚分)1932(昭和7)年8月号、「プロレタリア文学」(残りを追加して再掲)1933(昭和8)年1~2月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 21,942 字 · 44 页

青空文庫

「一人です」

「どこへ行っていたんです」

「親の家です」

「×町の方ですか?」

意外そうにききかえした。

「いや、田舎に家がある……」

台所のわきの四畳半の茶の間へ行くと、入ったばかりの所に小娘のヤスとその姉とがかたまって、息を殺した目つきをして、鞄を下げたなり入って来たわたしを見上げた。その脅やかされた様子を見ると、侵入者に対する憤りがこみ上げ、わたしは、できるだけあたりまえの調子で、

「お茶を入れておくれ」

と云った。帽子をぬぎすてて、チャブ台の前に坐った。熱い茶をゆっくり飲みながら、家がこういう状態になったことを、何とかして宮本に知らす方法はないかと考えた。

わたしたちは仕事をもって海岸にある親の家に行っていて、自分ひとり帰って来たところであった。宮本とはステーションでわかれたぎりである。彼は、それから広い東京の中で、どこへ用たしに行ったか、わたしには分っていない。だが、それでも知らす法はないものか。ぜひ知らせたい、と思った。ここはわが家で、しかも今は敵に占領されたのだ。わが家と思って、彼が帰って来ることがあってはならぬ。――

わたしが時間をかけて茶を飲んでいる次の部屋の前にある縁側の方から、もう一人別なスパイが首から先に上って来て、山口とこそこそ話し、しかも抜け目なく襖一重のこっちの気勢を監視しているのがわかる