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さんじゅっさい
三十歳
「文学界 第二巻第五号」1948(昭和23)年5月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,211 字 · 32 页
冬であった。あるいは、冬になろうとするころであった。私の三十歳の十一月末か十二月の始めごろ。
あのころのことは、殆ど記憶に残っていない。二十七歳の追憶のところで書いておいたが、私はこのことに就ては、忘れようと努力した長い年月があったのである。そして、その努力がもはや不要になったのは、あの人の訃報が訪れた時であった。私は始めてあの人のこと、あのころのことを思いだしてみようとしたが、その時はもう、みんな忘れて、とりとめのない断片だけがあるばかり、今もなお、首尾一貫したものがない。
日暮れであった。いや、いつか、日暮れになったのだ。あの人が来たとき、私がハッキリ覚えているのは、私がひどく汚らしい顔をしていたことだけだ。私はその一週間ぐらい顔を剃らなかったのだ。
私は自分のヒゲヅラがきらいである。汚らしく、みすぼらしいというより、なんだか、いかにも悪者らしく、不潔な魂が目だってくる。ヒゲがあると、目まで濁る。陰鬱で、邪悪だ。
そのくせ不精な私は、却々ヒゲを剃ることができない。私のヒゲはかたいので、タオルでむす必要があるから、それが煩しいのである。仕事をしながら頬杖をつくと、掌にヒゲが当る。