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さんじゅっさい

三十歳

坂口 安吾

「文学界 第二巻第五号」1948(昭和23)年5月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,211 字 · 32 页

青空文庫

(中略)

それから十年、終戦後の御作を読むうち、「戯作について」の日記の記事に、茫然と致したのです。

あのころの私は毎日のように矢田さんをお訪ね致しておりました。矢田さんの寛大な心に甘えて、私はダダッ子のように黙って坐って、あの方の放心とも物思いともつかぬ寂しい顔や、複雑な微笑の翳を目にとめて、私は泌みるような澄んだ思いになるのでした。矢田さんは、寂しい人です。どうして、こんなに寂しい人なのだろう、美貌と才気にめぐまれたこの人の心をあたゝめる何物もないのだろうか、私はいつも自問自答していたのです。

あなたと矢田さんが、あのような関係にあったとは! 矢田さんにも幸福な時があったんだ、私は当時を追憶して、思いは切なく澄むばかりです。(下略)

手紙の中に同封して、何かのお役に立てば、と、写真が一枚はいっていた。M氏の下宿の窓から矢田さんの部屋の窓をうつしたもので、屋根と窓と空があるばかりの写真であった。

矢田さんが私の何年かの動勢を手にとるごとく知っていたのはムリがない。あのアパートの私の部屋は管理人室の向いにあった。そこへ毎日、女が通っていた。M氏は私の動勢を、私がたとえば友人には秘密のことまで知っていたに相違ない。