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かんぱい
乾杯
豊島 与志雄
――近代説話――
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,788 字 · 18 页
ただ暗黙のうちに、自由に抱擁を許し合っただけでした。
彼は既に四十歳を越していて、幾人かの女性を性的に知っていました。彼女は既に未亡人で、軍属として南方で戦歿した夫との間に、信一という子供もありました。そういう二人が、抱擁だけの一線で踏み止ったのには、何か秘密があったのでしょう。単に、遠慮とか、世間体とか、真の愛情の問題とか、そのようなこと以外に何かがあったのでありましょう。
そうした彼女の痣から、山川正太郎は眼をそらして、口当りは柔かだが強烈な柿酒をあおりました。彼女はただ静かに控えていました。沈黙は、二人の間では何の差し障りもないものでありましたが、彼女の両の眉は少しく寄りあっていました。
山川正太郎は唇をかみしめました。
――ここにも、俺の決意を待ってるものが一つある。も一回やるか。
見廻しますと、絨緞からはずれた床板に、まだ、ちらちらと光る細かい破片が散り残っていました。
それを、彼は彼女にさし示しました。
「あれが分りますか。僕のダイヤです。」
「ええ、存じております。」
明快に答えた彼女を、彼はふしぎそうに眺めました。彼女はちらちらと微笑みました。