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ふたつのにわ
二つの庭
宮本 百合子
「中央公論」1947(昭和22)年1、3~9月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 195,492 字 · 389 页
三年ばかり前、大戦後のヨーロッパで有名であったアンリ・バルビュスの小説「クラルテ」が翻訳されたとき、その出版記念会があって、伸子も招かれた。その夜、フランス文学者である松江喬吉がテーブル・スピーチをした。翻訳という仕事は女性にふさわしい仕事だから、日本にもこれから優秀な婦人の翻訳家が出ることを希望する、という趣旨であった。そこに伸子の名もふれられた。司会者が、伸子に、それに答えるテーブル・スピーチをもとめた。なに心なく帯どめから白いナプキンをひろげたまま松江喬吉の話をきいていた伸子は狼狽した。話をききながら伸子は、自分は翻訳は出来ないし、したくない、そうはっきり思っていたのだった。生れてはじめてテーブル・スピーチに立たされた伸子は、上気して、人々の顔の見わけもつかなくなり、会場一面が明るくきらつき、花の色が赤や桃色に流れて目に映るばかりであった。伸子はやっと、小さい声でいった。翻訳はたしかに女性むきの仕事だともいえるけれども、女として、ひとのした仕事を、別の国の言葉に移すだけが、一番ふさわしい能力だときめられることは悲しいと思う。翻訳を立派にする人も出なければならないが、自分の仕事をする婦人も、もっともっと出なければならないと思う、と。