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にじゅうしんぞう

二重心臓

夢野 久作

「オール読物」1935(昭和10)年9、10、11月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 65,188 字 · 129 页

青空文庫

「イイエ。呉羽さんの天才が怖くなって来たのよ。ドンナ演出をなさるかと思って……」

こんなヒソヒソ話が進行しているのは一階正面中央の特等席であった。旅疲れのままで、一層、醜くくなった職工風の江馬兆策と、青白いワンピースに、タスカンのベレー帽をチョッと傾けた、女学生みたいに初々しい美鳥の姿は、世にも微笑ましいコントラストを作っているのであった。

呉服橋劇場内は、文字通りの殺人的大入であった。あまりの大入りなので観客席の整理が不可能になったらしい。外廊から舞台の直前まで身動き出来ない鮨詰で、一階から三階までの窓を全部明放し、煽風機、通風機を総動員にしても満場の扇の動きは止まらないのに、切符売場の外ではまだワアワアと押問答の声が騒いでいるのであった。

定刻の六時に五分前になると場内から拍手の洪水が狂騰した。その真正面の幕前の中央に、若い背の高い燕尾服の男が出て来て、恭しく観客に一礼して後、何事か喋舌り出したからであった。それも最初の間はさながらにこうした未曾有の満員状態を面白がっているような盲目的な拍手に蔽われて、言葉がよく聞き取れなかったが、その中に群集のドヨメキが静まると、やがて若々しい朗らかな声が隅々までハッキリと反響し初めた。