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ごじゅうねんだいのぶんがくとそこにあるもんだい

五〇年代の文学とそこにある問題

宮本 百合子

「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社、1979(昭和54)年11月20日初版発行

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 25,472 字 · 50 页

青空文庫

日本の平和擁護のための運動に対して傍観的であり、あるいは嘲弄的であるのは、福田恆存一人ではない。福田恆存がそこに加っていないということで日本の「平和を守る会」や「知識人の会」が、その動機と行動において、ほんとの程度がわからないという客観的よりどころにはなりようもない。

「メダカはカタマルのが好き」というある作家の言葉は一九四九年度にも民主的な動きへの嘲弄の道具につかわれて来た。しかし、どんな孤高の人が、輸送船の中へカタメテつみこまれなかったろうか。ジャングルの中にカタメテすてられた部隊から、一人はなれた人の飢餓と苦悩の運命の終焉が、カタマって餓死した人々の運命とその本質においてどうちがったろう? 最悪の運命の瞬間に、八千五百万の利用できる人々としてカタメられることを拒絶するために、カタマル人民、メダカの精神とその発言のうちに現代史のヒューマニズムがある。

外面の卑下と内面の優越をもって「であります」調の私的評論が流行したのも一九四九年の一現象であった。個人としてそれらの人々がどのように歴史の現実をうけとり、それを表現し、そのことによって、進んでゆく歴史と自分との関係を、おのずから客観の証明のもとに浮き上らせてゆくことは、もとより各人の自由であると思う。