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きょうらくじん

享楽人

和辻 哲郎

「人間」1921(大正10)年5月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 4,551 字 · 10 页

青空文庫

五、六年前のことと記憶する。ある夜自分は木下杢太郎と、東京停車場のそのころ開かれてまだ間のない待合室で、深い腰掛けに身を埋めて永い間論じ合った。何を論じたかは忘れたが、熱心に論じ合った。二人の意見がなかなか近寄って来なかった。そこを出て大手町から小川町の方へ歩いて行く間も、なお論じ続けた。日ごろになく木下が興奮しているように思えた。小川町の交叉点で――たしかそこで別れたように思うが――木下は腹立たしい心持ちを言葉に響かせてこう言った。

――結局僕が Genu※(ドイツ語エスツェット)mensch で、君がそうでない、ということに帰着するんだな。

この Genu※(ドイツ語エスツェット)mensch(それを試みに享楽人と訳した)という言葉を、木下は誇らしく発音した。そうでないと言われるのが自分には不満に感じられたほどに。でその時はこういう結論で物別れになったのが、気持ちよくなかった。しかしこの言葉が自分の頭に残って、幾度か反復せられている間に、だんだんそれが木下と離し難いものとなり、木下の特性を示すもののように思われて来た。今度彼の『地下一尺集』