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たにんのなつ

他人の夏

山川 方夫

「中学時代 夏休み臨時増刊号第一五巻第六号」1963(昭和38)年8月5日

N3 · 进阶 · 新字新假名 · 3,115 字 · 7 页

青空文庫

やはり、海は親しかった。月はなかった。が、頭上にはいくつかの星が輝き、黒い海にはきらきらと夜光虫が淡い緑いろの光の呼吸をしている。

夜光虫は、泳ぐ彼の全身に瞬きながらもつれ、まつわりつき、波が崩れるとき、一瞬だけ光を強めながら美しく散乱する。……慎一は、知らぬまにかなり沖にきていた。

ふと、彼は目をこらした。すぐ近くの暗黒の海面に、やはり夜光虫らしい仄かな光の煙をきらめかせて、なにかが動いている。

「……だあれ? あなた」

若い女の声が呼んだ。まちがいなく若い女がひとり、深夜の海を泳いでいるのだった。

「知らない人ね、きっと。……」

女は、ひとりごとのようにいった。はじめて慎一は気づいた。女の声はひどく疲れ、喘いでいた。

「大丈夫ですか?」

慎一はその声の方角に向いていった。

「いいの。ほっといてよ」

女は答え、笑った。だが、声は苦しげで、笑い声もうまく続かなかった。慎一はその方向に泳ぎ寄った。

「……あぶないですよ、この海は。すぐうねりが変わるんです。もっと岸の近くで……」

「かまわないで」

ほんの二メートルほど先の海面で、波の襞とともに夜光虫の光に顔をかすかに浮きあがらせた女は、睨むような目をしていた。