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きずあとのはいけい

傷痕の背景

豊島 与志雄

「中央公論」1929(昭和4)年9月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,022 字 · 38 页

青空文庫

それを……その時まで全く冗談だったが……冗談にせよ、はずみで……ぱっと払ったのが、腿にきた。彼奴案外真剣だったらしい……。」

そして、そのぎょろりとした眼付に、心をこめて、遠く、上海にいる杉本浩の面影を、追い求めるのだった。

「不徳漢で……卑怯者で……。」

だが、口で云うほど実は憎んではいなかった。何としても、憎悪の念なしに対抗意識が自然とその方へ向いてゆく、親しい対象だった――感情的にも、思想的にも。

彼の交友仲間――彼が中立候補としてたった代議士にも落選後、ひそかに結束の機運が醸成されかかってる少数の一団――の中には、日本ファシズムの気分が多く支配していた。その原動力の一つは、彼が大腿部の傷痕にあることは事実だった。

「彼奴が、日本に舞い戻ってきたら……。」

一種のなつかしみと力の自負とを以て、有吉祐太郎はそう思うのである。

二

杉本浩は粗末なアパートの一室に住んでいた。そして彼の生活は、飜訳と、雑文執筆と、読書と、漫歩と……。

浅草、銀座、新宿、その表通りや裏通りの雑踏の中に、彼の茫漠たる風貌がよく見られた。

いつも一人。古ぼけた帽子の下から、蓬髪の縮れが少し覗いている。