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きずあとのはいけい

傷痕の背景

豊島 与志雄

「中央公論」1929(昭和4)年9月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,022 字 · 38 页

青空文庫

」

「怒ったからこそ、……分らないのよ、あなたには。」

「それが、実は本当に怒っていなかったのだ。僕にはそれが分る。今も云ったように、僕は今夜、有吉に対して、初めは冗談のつもりだった。ところが、その後では、本当に憎んだ。もし腕を押えられなかったら、即座に刺し殺していたろう。……向うはそうじゃなかった。初めはわりに真剣で、後ではもう僕を憎んではいないようだった。それが、有吉との本質的な違いだ。今になって分ったのだ。そして僕は、ああいう人物に対して、ああいう存在に対して、腹が立った。本当に怒った……。」

「だから、あたしとも別れようというの。」

「本当に怒って、それから、分ってきたのだ。僕は一人だった、一人ぽっちだった。向うは、大勢……ああいう階級全部を背負っていた。……君だって、嫉妬心にかられた時は、一人ぽっちだった。だが、向うは、あの男は、ああいう人間共……ああいう生活、それ全体を背負っている……。」

「…………」

彼女は無言で、彼の顔を見つめた。その眼から……下眼瞼の円く開いてる縁から、しみ出すように、涙が……。それがこぼれかけた時、急に、彼の頭に縋りついた。