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きずあとのはいけい
傷痕の背景
豊島 与志雄
「中央公論」1929(昭和4)年9月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,022 字 · 38 页
「いや、いやよ、別れるのは。」
「淋しいのか、一人ぽっちなのが……。」
彼女はなお強く、彼の肩を抱いた。
「それを、一人ぽっちでなくなすんだ。」
「では、別れない?」
彼は彼女の手を静かに離して、その額に接吻してやった。白粉のついた冷い額を、差出して、彼女は眼をつぶっている……。
「分るだろう……こんなことをしていては、いつまでたっても一人ぽっちだ。二人できつく抱き合ったところで、やはり、一人ぽっちの淋しい気持は、無くなりはしない。」
彼女は強く頭を振った。
「それが、男と女との違いだ。」
云ったあとで、彼の眼の底は、熱くうるんだ。
「僕は、いつか云ったことを、いさぎよく取消そう。女は、子供を産まなければいけない。子供だ。男は……。僕は、久しぶりに、母のことを思い出した。僕がまだ小さい時に死んだ母だ……。」
開いたままの窓から、冷い夜気が流れこんできた。彼は立上って、窓のところへ行って、空を眺めた……。
いつのまにか、その後ろに、彼女も立っていた。
「どうするの、これから……。」
「沢山仕事がある。先は遠い。ゆっくり、あせらずに歩くんだ。君と別れて、僕は却って、君と強く結びつくような気がしそうだ。