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はちじゅうはちや
八十八夜
「新潮」1939(昭和14)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,623 字 · 28 页
笠井さんは、それどころではなかった。もはや、道々、わあ、わあ大声あげて、わめき散らして、雷神の如く走り廻りたい気持である。私は、だめだ。シェリイ、クライスト、ああ、プウシュキンまでも、さようなら。私は、あなたの友でない。あなたたちは、美しかった。私のような、ぶざまをしない。私は、見られて、みんごと糞リアリズムになっちゃった。笑いごとじゃない。十万億土、奈落の底まで私は落ちた。洗っても、洗っても、私は、断じて昔の私ではない。一瞬間で、私はこんなに無残に落ちてしまった。夢のようだ。ああ、夢であってくれたら。いやいや、夢ではない。ゆきさんは、たしかにあのとき、はっと言葉を呑んでしまった。ぎょっとしたのだ。私は、舌噛んで死にたい。三十五年、人は、ここまで落ちなければならぬか。あとに何が在る。私は、永久に紳士でさえない。犬にも劣る。ウソつけ。犬と「同じ」だ。
どうにも、やり切れなくて、笠井さんは停車場へ行って二等の切符を買った。すこし救われた。ほとんど十年ぶりで、二等車に乗るのである。作品を。――唐突にそれを思った。作品だけが。――世界の果に、蹴込まれて、こんどこそは、謂わば仕事の重大を、明確に知らされた様子である。