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ちよこ

千世子

宮本 百合子

「宮本百合子全集 第二十八巻」新日本出版社、1981(昭和56)年11月25日

N3 · 进阶 · 新字新假名 · 83,104 字 · 164 页

青空文庫

一つ一つの音が胸の中にしみ込む様で段々かおがあつくなり体がふるえて来て涙が又こぼれた。

こらえて千世子はHに涙を見せまいとして弾きつづけたけれ共とうとう象牙の鍵板の上に頭を下してしまった。ゆるやかに歌をやめたHはそっと見て居たけれ共、ソーッと千世子の頭を抱えてから庭に出る戸をあけて出て行った。つかれた様にふるえて声をたてないばっかりにして千世子は泣いて居た。

Mが来ないから悲しいんでもない、何がなくってかなしいんでもない、若い女によくある、只わけもない悲しみなんだろうか? そんな事ならあんまり下らない見っともない事だ。

千世子は若い娘のやたらに淋しいとか悲しいとか云う様な事をすきがって居ない。

感情的なのを、いやだと云うんじゃあない、それをむやみと表白して「私淋しゅうござんすわ」とか何とか云ったりするのがきらいだった。それだもので何のために泣いて居るのか? と思ったらいつの間にか涙はとまって居た。そのかわり恐ろしいほどの陰気さと疑が雲の様に湧き上って来た。「妙だ!」引っからびた様な目つきで千世子は思った。おや指の腹でうなる様な音を出してそれにききほれながら年よりの様なかたまったかおをして居た。