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ねむのきのかげ

合歓木の蔭

山本 周五郎

「新読物」交友社 、1948(昭和23)年9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,740 字 · 27 页

青空文庫

三歩を隔てて垣根があり、男はその外に来て待っていた。――奈尾は合歓木の樹蔭へ身を寄せた。昼の日光で暖められた土や雑草が、ほのかに唆るように匂っていた。男はああと声をあげた、喉から出るのではない、口のなかで、ほとんど舌のさきだけでささやくのであった。

「あなたはまた来てくださいました、私はあなたの足音が、母屋からここへ来るまでの、一歩一歩を数えることができました、軽くてやさしい地面に触れるか触れないような、たおやかな足音、――私は今夜で三晩それを聞きました、それでもやはりあなたがそこへいらっしゃるまでは、あなたではないだろうという疑いで血が凍るように思うのです」

男は深い嘆息をもらした、それから奈尾がなにか云おうとするのを恐れるもののように、臆病な哀願の調子でこう続けた、

「いいえなにもおっしゃらないでください、私は自分を知っています、私は卑しい無能な人間です、こうして名も知られず姿も見られないからこそ、あなたにものを申し上げることが出来るんです、私はこの世に生きるねうちのない人間です、生まれて来ないほうがよかったと、どれほど考えたかしれません、あなたに御想像がつくでしょうか、人間が自分を生まれて来ないほうがよかったと考えるなんて、――けれども今は違います。