轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

よしだしょういん

吉田松陰

徳富 蘇峰

「国民之友」1892(明治25)年5月~9月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 135,622 字 · 269 页

青空文庫

而して今平戸頗る古風を存す、蓋し由りて然るところあるなりと。

惟うに彼が海事思想を鼓舞したるもの、実に平戸における観察、与りて多きにおらずんばあらず。

もしそれ肥後における感化に到りては、さらに深かつ大なるものあり。天明の頃、肥後の医師に富田太鳳なるものあり、慷慨にして奇節あり、高山彦九と交驩し、夙に尊王賤覇の議を唱う。爾来林藤次なるものあり、博学篤行、我邦の古典に通じ、敬神家の矜式となり、また勤王の木鐸となる。宮部、永鳥、轟の徒、みな彼が風を聴いて起るもの。而して当時横井小楠また藩学の因循論と相容れず、卓立して実学説を唱え、宮部の徒従ってその議論を上下し、未だ悉く一致せざるも、また後年彼が開国論を叫破し、ために互いに分裂反目するの甚しきに至らず。松陰の来遊、あたかもこの時にあり。彼が肥後に来り、天涯知己多きの感をなしたる、豈に偶然ならんや。彼が交遊の一半は、その真個の同志者の一半は、死に到るまで、肥後人なりとす。彼の死後においても、長州の尊王党と肥後の尊王党とは、恒に相携提し、元治京師の役よりして、奇兵隊の時に及び、肥人の長軍に投じたるもの一にして足らず。