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ちずにないまち

地図にない街

橋本 五郎

「新青年」1930(昭和5)年4月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,139 字 · 32 页

青空文庫

見ると、同じベンチの反対の端に、一人の男が――ボロ毛布を身体に巻いた老人が、氏の方を見てまだ顔だけ笑っていたのである。

「どうしたい?」

とやがてその老人から言葉をかけられたが、氏はその時、思いもかけず人のいた驚きで、急に返事をすることはできなかったといっている。

「士族ってつまらないものだな」

と重ねてその老人から話しかけて来た時には、氏はかつて聞いた北海道行き人夫のことを考えていた。そしてこの老人が果たしてそんな恐ろしい人間であるか否かと、その丸い顔を、柔和な眼を、健康そうな表情を、それからがっしりした老人の体格をただみつめていた。

「学校の先生ってつまらないな」

その老人は続いていった。が、氏にはまだ言葉を返すことができなかった。

「蟇口ってやつもおよそしようのないもんだな」

――この老人はいつの間にこのベンチに来て、またいつの間に、そんな氏が士族の子弟であり、かつて小学校に奉職していたことなどを知ったのであろう? と氏はやはり老人の面をみつめたまま黙っていたというのである。

「どうだ、食わないか?」

はっはっはと老人は笑いながら、それまでもぞもぞやっていた毛布のふところから、一個の新聞紙包みを出して開いた。