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しおばな

塩花

豊島 与志雄

「世界」1946(昭和21)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,421 字 · 25 页

青空文庫

彼女は紫檀の机の上に両手をのせて、一冊の書物をもてあそんでいたが、硝子戸ごしにさしてくる光線のなかで、指先の爪が薄桃色の貝殻のように光った。殆んど関節の存在をも示さずに、先細りにすんなりと伸びた指の先に、その可愛いい貝殻の爪がはめこまれていた。光線のなかにあるせいか、指全体が、生きてるのか死んでるのか分らず、ただこまかく自在に動き、爪の表面が時々光った。

そういう指先に、山口は心惹かれた、見てはならないものを見るような気持ちで、彼はひそかに視線を向けた。そのうち、なにか異様な沈黙が続いたと思われた時、彼女はもう立ち上りかけていた。

彼女は山口の方へは挨拶もせずに席を立った。吉村氏は彼女を玄関まで送り出した。随分暫くしてから、吉村氏は室に戻ってきた。

山口は尋ねた。

「あの人、先生のお弟子ですか。」

「弟子じゃないよ。」と吉村氏は答えた。「僕は嘗て弟子を持ったことはないし、これからも、弟子などは持たない。」

傍見をしながら答える吉村氏の顔を、山口はじっと眺めた。

「私はあの人を知っていますよ。」

「そうらしいね。」

冷淡な返事で、吉村氏は眉根も動かさなかった。