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なつとおじいさん

夏とおじいさん

小川 未明

「國民新聞」1931(昭和6)年7月12日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 2,207 字 · 5 页

青空文庫

また、晩になると、蚊がやってきて、おじいさんを、ちくちくと刺しました。

「おれが、手足がきかないと思って、蚊までがばかにする。」と、おじいさんは、怒ったのであります。

はえや、蚊に対する腹だたしさが、つい雇い人のほうへまわってきましたから、たまりません。せめて、この夏の間なり、涼しい山の温泉にでもまいられたらといって、おじいさんにすすめました。

おじいさんは、いい考えだといって、喜ぶと思いのほか、

「仕事のいそがしい体で、そんなところへゆけるものか? 私は、あのビルディングの五階の事務所で、夏を過ごすつもりだ。」と、答えました。

「なるほど、それは、いいお考えでございます。」と、温泉行きをすすめた雇い人は、頭をかいて下がりました。

おじいさんは、いよいよビルディングへ移って、高い五階の室で住むようになってから、はたして、はえも、蚊もこなければ、涼しい風がはいって、それはけっこうでありました。

「なぜ、早くここへこなかったろう。」と、おじいさんは、大喜びでしたが、雇い人は、ますます手足のごとく使われて、上がったり、下りたりするので、ほんとうにやりきれなくなりました。