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なつ
夏
寺田 寅彦
「大阪朝日新聞」1929(昭和4)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 6,046 字 · 13 页
こんな話を聞かされたりして威されていたために、いっそうの暑さを感じたのかもしれない。やっと地上へ出たときに白日の光の有難味を始めて覚えたのである。
高等学校を卒業していよいよ熊本を引上げる前日に保証人や教授方に暇ごいに廻った。その日の暑さも記憶の中に際立って残っているものである。卒倒しそうになると氷屋へはいって休み休みしたので、とうとう一日に十一杯の氷水をのんだ。そうして下宿へ帰ると井戸端へ行って水ごりをとった。それでも、あるいはそのおかげで、からだに別条はなかった。
滞欧中の夏はついに暑さというものを覚えなかったが、アメリカへ渡っていわゆる「熱波」の現象を体験することを得た。五月初旬であったかと思う。ニューヨークの宿へ荷物をあずけて冬服のままでワシントンへ出かけた時には春のような気候であった。華府を根拠にしてマウント・ウェザーの気象台などを見物して、帰ってくると非常な暑さで道路のアスファルトは飴のようになり、馬が何頭倒れたといううわさである。その暑さに冬服を着て各所を歴訪した。夜寝ようとするとベッドが焼けつくようで眠られない。心臓の鼓動が異常に烈しくなる。