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ゆうがおのもん
夕顔の門
吉川 英治
「婦人倶楽部 臨時増刊」大日本雄弁会講談社、1938(昭和13)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,956 字 · 29 页
『知りません。父が貴方と婚約した事すら、わたしに黙ってしたのですから』
『いや、まあ聞け。武士として、頼むと、手をつかれる程、辛い事はない。其女はいつも口癖に、わしには愛がないように申すが、それは僻みというものだ。いちど自分の持った女――無智なら無智で不愍と思う――まして惣七殿が泣いて手をつかえた親心もある。きょう迄わしは、一度でも、其女を憎いとはしていない。飯櫃でも使い馴れる迄はクセのあるもの。わが妻と成しきる迄は、そのクセも抜こう、磨きもかけよう。――そう考えて努力して来たが、その大きな愛が其方にはまだ分らぬ』
『分りました。――そうです、わたくしなどは、どうせお飯櫃ぐらいにしか、貴方には考えられていないのですから』
『今に分る。もっと長く長く、わしと生活ているうちには』
『そんな辛抱はもう……。思うだけでも、身がふるえます』
『不幸が其女を誘惑するのだ。惣七殿の為にも、其女の為にも、わしという者は、大樹の陰ではないか。――逃げた鷹はぜひもないが、不幸になる人を見のがすわけには行かぬ』
『そんな事を云って、又わたくしの気を鈍らせ、真綿で首を縊るように、じりじりと、復讐なさるので御座いましょう』