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ゆうがおのもん

夕顔の門

吉川 英治

「婦人倶楽部 臨時増刊」大日本雄弁会講談社、1938(昭和13)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,956 字 · 29 页

青空文庫

もう霜になったの毛を顫わせて、惣七は、

『ようも家名を汚し、良人の顔に泥をぬりおったの。――うぬ、出てうせねば!』

槍を繰り引いて、垂れ籠めている駕の内へ、ずばっと突き入れようとした時、並木の陰から、閃っと迅い人影が、彼の側へ跳んで槍の手元をつかんだ。

『御老台。あなた迄が、何をなさる』

『あっ――お身は兵庫どの』

『あなたに、こんな事をさせる程なら、拙者も永い忍苦はしませぬ。こうした事の生れる初めに、あなたも父として何も落度はなかったか、拙者も良人として足らぬ所はなかったか。それも考えてみなければなりますまい』

『ない、わしに落度はない。町人なら知らぬ事、武士の娘に――又武士の間に、そんな斟酌はないことじゃ』

『武士。――仰せられたその武士へ、では何で、お市を嫁がせる前にあなたは、頼む! と拙者に手をついたか』

『……む?』

『武士には、一諾を重んじるという事がござりますぞ。事情を打明けて、この娘、頼むと仰せられたあの涙を、なぜ今お持ちなさらぬのか。よろしいお娶い申そうと、その時云った然諾を、拙者はまだ、胸から捨ててはおりませぬ』

『…………』

『いや一諾の、信義のと、肩肱張った理窟ばかりではない。