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ゆうがおのもん

夕顔の門

吉川 英治

「婦人倶楽部 臨時増刊」大日本雄弁会講談社、1938(昭和13)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,956 字 · 29 页

青空文庫

二

『十日以内には返上すると約束して、他家から拝借した「放鷹故実」を、こうして今、懸命に写しておるので手が離せぬ。……アア行燈もまだ灯いていないの。燈の用意はわしがするから、さがして来い、鷹を探して来い』

すぐ側にある行燈を引き寄せたが、掃除の届かない油皿にも塵が溜っていて、付木の火を移すと、バチバチと火花が刎ねた。

二

いつのまにか、お市の姿は、庭から消えていた。

鷹を探しに外へ出て行ったものとばかり思って、兵庫は又、机に屈みこんでいたが、ふと、彼女の部屋に物音がするので顔をあげてみると、お市が鏡台に向って、いつもの夕化粧をしている姿が、萩戸を透かして見えた。

『居るのかッ、未だ!』

こう呶鳴ると、彼は無意識に、机の上の物を掴んで、彼女の部屋へ抛りつけた。

それは、朱墨を卸ろす丸硯だった。萩の簀戸を突き破った硯は、箪笥にぶつかって、彼女の坐っている側に躍った。

『――今、行きかけている所です』

お市は、見向きもせず、櫛の手をうごかしていた。くわっとした兵庫も、彼女の声の底に、何日にない冷たさと落着きぶりを感じたので、黙って、見まもっていた。

――次に、お市は箪笥を開けていた。