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たぼう

多忙

山本 周五郎

「博浪沙」博浪社、1939(昭和14)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 1,176 字 · 3 页

青空文庫

さて何にがゆえにこんなことを並べたかというと、小生は或る知人から妙なものを貰ったのである。……これは君に最も相応わしいと思うから進呈する、と云って呉れたのは、古色を帯びた土佐半紙の原稿用紙に達筆でなぐり書きにした一葉の手簡である。

拝啓けふの原稿三十五枚

出来致し候御一覧の上此

分計の原稿料明朝迄に御

届け被下度願上候当用迄

早々

本郷区西片町十番

地ノ十四号

長谷川辰之助

酒井真様

文面は右の如くである。即ち二葉亭四迷の手紙で、原稿料の請求にほかならない。「この分ばかりの稿料を明日の朝までによこせ」というあたり我身にひきくらべてその火急の状が彷彿とする。小生は思わずにやにやとしたのである。二葉亭がそのときどういう状態にあったかは知らない。けれども小生の空想はそのいそがしい三十五枚分の稿料を基にいろいろと発展するのである。五十枚とか或は百枚の稿料では空想に限度があるけれど「三十五枚」という数は実に身につまされる微妙さをもっているのである。これこそいそがしい種類の神髄なのである。

二葉亭でさえ斯る手簡を遺しているではないかと思うと、是を贈れる知人のおもいやりのゆかしさに小生は頗る心胆の肥大するを覚え、且つ同時にいよいよめざましくもうひとつの物に突進しつつあるのである。