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よるのくつ
夜の靴
横光 利一
――木人夜穿靴去、石女暁冠帽帰(指月禅師)
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 107,056 字 · 213 页
「むかしは美しかったがのう、ここの庭は。それにもう石も樹も、ありゃしない。」
この老婆は立てつづけにべらべらと無邪気に喋り散らすかと思うと、すぐ炉端でい眠っている。七十年間、一里半向うの漁村とこの村との間より往き来をせず、その二村のことなら何事も知っていて、人が聞こうと聞くまいと、のべつ幕なしに話すので、およそのこと、誰が誰から幾ら儲けたとか、誰が誰を口説いて嫁にしたとか、狐が誰にひっついたとか、――私の子供までが知ってしまう。清江はにこにこして聞いているが、
「あれで家へ帰れば、嫁に虐められるのだがのう。」と私の妻にそっという。
しかし、いつ見てもこの由良の老婆は美しい。私にもしこんな老婆が一人あったなら良かっただろうと思う。いっか一度、参右衛門たちの集っているところで、「あのお婆さんは美しい人だなア。」と、ふと私が洩すと、一同急に眼を見張って私の方を見た。そして、意外なことを云うものだと不思議そうに黙ったことがあるが、漁村の白毛の老婆の美醜などいままで誰も気にとめたことはなかったのだろう。この老婆のいるために、私にはこの村や山川がどれほど引き立ち、農家の藁屋根や田畑が精彩を放って見えているか知れない。