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よるのくつ
夜の靴
横光 利一
――木人夜穿靴去、石女暁冠帽帰(指月禅師)
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 107,056 字 · 213 页
」と私は訊ねてみた。
「それや、かかるでしょう。」
「じゃ、文学は一番かからないというわけになりそうだが、かかるかな。」
「それや、かかる。」
「じゃ、まだ僕は二十年だ。」
よろし、もう二十年、と、こんなところでどちらも笑ってから、その後で久左衛門に会ったとき、農家の仕事のうちで何が一番難しいかと私が訊ねると、
「種を選ぶことだの。」と即座に答えた。
どの田畑にどの種を選んで播くかということの難しさは、六十八歳になった達人久左衛門も、これだけはまだ分らぬとの事だ。おそらく一生かかっても分りそうにもないという。私らも連作してはならぬ茄子だったり、トマトだったりしているのであろうが、誰も訓えてくれるものではない。自分を工夫するとはどうすることか、それさえ誰も云ったものはない。いや、自分がトマトか南瓜かそれも分らぬ。七十年、百年たっても――。ただ一生の間にちらりと蝶の来てくれること、そればかり待っているのだ。支那の隠者たちは空しく死んでいったのであろうか。篆刻の美は、死の海に泛んだ生の美の象徴ではなかったか。
十一月――日
農家はどこも三日間刈り取り祭だ。盆、正月以外ではこれが最も大きな祝い日である。