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よるのくつ
夜の靴
横光 利一
――木人夜穿靴去、石女暁冠帽帰(指月禅師)
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 107,056 字 · 213 页
不安のなくなった証拠である。
「あのときは、おかしかったね。お前の病気の夜さ。」と私は云った。
「そうそう。あのときは、おかしかったわ。」と妻も思わず顔を上げて笑った。
厳寒の空襲のあったある夜、私と妻とはどちらも病気で、別別の部屋に寝たきり起きられず、子供たち二人を外の防空壕へ入れて置いた夜のことである。私は四十度も熱のある妻の傍へ、私の部屋から見舞いに出て傍についていたが、照明弾の落ちて来る耀きで、ぱッと部屋の明るくなるたびに、私は座蒲団を頭からひっ冠り、寝ている妻の裾へひれ伏した。すると、家の中の私たちのことが心配になったと見え、次男の方がのこのこ壕から出て来て、雨戸の外から恐わそうな声で、「お母アさん。」とひと声呼んだ。
あまり真近い声だったので、「こらッ。危いッ。」と座蒲団の下から私が叱りつけた。子供は壕の中へまた這入ったらしかったが、続いて落ちて来る照明弾の音響で、またのこのこ出て来ると、
「お母アさん。」
「こらッ。来るなッ。」
呶鳴るたびに雨戸の外から足音は遠のいたが、いよいよ今夜は無事ではすむまいと私は思った。私は一週間ほど前から心臓が悪く、二階梯子も昇れない苦しみのつづいていた折で、妻など抱いては壕へ這入れず、今夜空襲があれば、宿運そのまま二人は吹き飛ばされようと思っていたその夜である。