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むゆうびょうしゃのし
夢遊病者の死
江戸川 乱歩
「苦楽」プラトン社、1925(大正14)年7月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,121 字 · 22 页
身体を拭くことも出来やしない」
何といって見ても、彦太郎が黙っていて答えないので、父親は仕方なく、よっこらしょと立上って、勝手許へ下りて、ゴソゴソと夕餉の支度にとりかかるのであった。
その気配を感じながら、じっと机の前の壁を見つめている彦太郎の胸の中は、憎しみとも悲しみとも、何とも形容の出来ない感情の為に、煮え返るのである。天気のよい日なれば、こういう時には、何も云わずにプイと外へ出て、その辺を足にまかせて歩き廻るのだけれど、今日はそれも出来ないので、いつまでもいつまでも、雨もりで汚れた壁と睨めっくらをしている外はない。
やがて、鮭の焼いたので貧しい膳立てをした父親が、それ丈けが楽しみの晩酌にと取りかかるのである。そして、一本の徳利を半分もあけた頃になると、ボツボツと元気が出て、さて、お極りのお談義が始まるのだ。
「彦太郎、一寸ここへお出で、……どういう訳で、お前は俺のいうことに返事が出来ないのだ。ここへ来いといったら来るがいいじゃないか」
そこで、彼は仕方なく机の前に坐ったまま、向き丈けを換えて、始めて父親の方を見るのだが、そこには、頭の禿と、顔の皺とを除くと、彼自身とそっくりの顔が、酒の為に赤くなって、ドロンとした目を見はっているのである。