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てんぐ

天狗

大坪 砂男

「宝石 七、八月合併号」岩谷書店、1948(昭和23)年8月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,545 字 · 19 页

青空文庫

七時。窓を細目に明けて監視を始める。五分、十分、喬子の姿が玄関を出て白樺の径へ進んで行く。定刻より二十分早い。歩き方も目的のある人の足取りで、はや林の蔭に消えてゆく。

精密な計算のもとに規定された行動は時計を見ているだけでわかるのだ。喬子はずんずん進んで行くだろう。竹藪にかかる。白い野バラは一個処よりない。その手前の茨はわきによせて蔓で結んである。隙間道は唯一筋、半円形に導いて行く。笹と下草で足跡はつかない。丁度谷を背にした形になった処で正面に赤岩が現れる。岩の上に一本の黒百合、と見えるのが、煤をテレピン油で溶いて塗り、リンシードで艶出しまでした傑作だ。喬子は草花を愛し黒の諧調を好む。黒百合の誘惑は絶対だ!

岩の左右には茨がある。岩に凭れなければならない。岩の高さは九五CM。胸の高さだ。匂いを嗅ごうと詩集を持った左手を延して百合の茎を前に引く。茎の鉄棒は軽く引かれただけで支点が外れる仕掛に狂いはない。埋め隠された綱は喬子の胸の第三肋骨から腋下を通り肩胛骨を挟んで後方へ……

七時三十二分。竹藪が音無く一揺れ。サーッと一条の、ああ、鮮かにも確かな抛物線! 谷を渡り山毛欅林の蔭へ、刹那に消え行く黒い虹の懸橋!