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おうしゅうにおけるみたちふじわらし

奥州における御館藤原氏

喜田 貞吉

「民族と歴史 第七巻第六号」1922(大正11)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,211 字 · 34 页

青空文庫

縦不レ及二定仰之数一、何無レ所レ増。又基衡必阿‐二媚奥竈一、運二不増之籌一。願君勿二和親一矣。成佐白、少不レ増レ之、二子求二小利一不レ顧。君若従二其言一、必有二後悔一焉。余従二成隆・俊通之諫一。果如二其言一。成佐所レ言雖レ巧、慮不レ及二二子一。

成佐は基衡を匈奴といっている。いかに東奥の夷狄とはいいながら、かなり馬鹿にしたものではないか。基衡の妻は安倍宗任の女で、毛越寺の境内に観自在王院を建立した。四壁に洛陽霊地の名所を図絵し銀をもって仏壇を作り、高欄は磨金なりとある。また小阿弥陀堂を建て、障子色紙形に参議藤原教長の染筆を請うたともある。

基衡の子秀衡は父に襲いでさらに成金振りを発揮した。彼は無量光院を建立して、院内の荘厳ことごとく宇治平等院を摸したとある。その他、東大寺大仏殿再興の時のごときも、彼は実に第一番に勧進に応じたものであった。『吾妻鏡』にも、秀衡父の譲りを得て、絶を継ぎ廃を興し、将軍の宣旨を被りて以降、官禄父祖に越え、栄耀子弟に及ぶとある。清衡・基衡・秀衡三代間約百年、造立するところの堂塔幾千万宇ということを知らずともある。当時奥州平泉の文化は、実に京都につぐほどの勢いであったに相違ない。