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こうじんぶつ

好人物

豊島 与志雄

「読売評論」1950(昭和25)年3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,567 字 · 21 页

青空文庫

だから、その間、あなたんとこへ泊りに行っていいかしら。」

そういう三千子の提案を、僕は無条件に承知したに過ぎない。実際、ムラサキの二階の彼女の居室には、左官屋が仕事を始めた。彼女は近所の便利なところに、泊り場所ぐらいは見つけられた筈だが、夜遅く、電車で僕の家へやって来た。そして朝寝坊をし、午後になって出かけて行った。僕はなんにも構わず、彼女の為すままに任せておいた。

僕の方も宵っぱりの朝寝坊だ。亡父の時代からの写真業の方は、だいたい原野がやってくれているから、僕は道楽の古代文字研究に耽ることが出来るのである。碑面、塋窟の壁面、石器や陶器、其他種々の考古学的資料などについて、夥しい写真を蒐集している。実物でなくて写真で済むから便利だ。それらを仔細に観察してゆくと、文字だと思われるものが実は模様だったり、模様だと思われるものが実は文字だったり、そして最後には両者の区別のつかない一線につき当る。その線上では、人間の言葉と身振りとが合致するのだ。

夜更けまで、書斎で文献を読みあさっていると、三千子がやって来る。家の者はみな寝てるので、自分で戸締りをして、書斎にはいって来、熱い茶をいれて飲む。