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むすめ
娘
岡本 かの子
「婦人公論」1939(昭和14)年1月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,846 字 · 16 页
オールを入れて左右のハンドルを片手で握り乍ら素早くシートへ彼女は腰を滑り込ます。ローロックのピンを捻じると、石垣へ手をやり、あと先を見計らって艇を水のなかへ押し出した。
もの馴れた敏捷な所作だった。長さ二十五フィート、重量五貫目のスカールは、縦横に捌かれ、いま一葉の蘆の葉となって、娘の雄偉な身体を乗せている。室子はオールでバランスを保ちながら、靴の紐を手早く結ぶ。朝風が吹く。
室子の家の商売の鼈甲細工が、いちばん繁昌した旧幕の頃、江戸大通の中に数えられていた室子の家の先代は、この引き堀に自前持ちの猪牙船を繋いで深川や山谷へ通った。
室子の家の商品の鼈甲は始め、玳瑁と呼ばれていた。徳川、天保の改革に幕府から厳しい奢侈禁止令が出て女の髪飾りにもいわゆる金銀玳瑁はご法度であった。
すると、市民達は同じ玳瑁に鼈甲という名をつけて用いた。室子の家の店はその前からあったが、鼈長という名で呼ばれ始めたのはこの頃からであった。明治初期に、鹿鳴館時代という洋化時代があった。上流の夫人令嬢は、洋髪洋装で舞蹈会に出た。庶民もこれに做った。日本髪用の鼈甲を扱って来た室子の店は、このとき多大の影響を受けた。