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こをうばう

子を奪う

豊島 与志雄

「中央公論」1921(大正10)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 39,292 字 · 80 页

青空文庫

彼は口を噤んだ。彼女も口を噤んだ。互に相手が何か云い出すのを待って、二人はいつまでも黙っていた。

彼は一度、三田行の電車に乗ってみた。別に依子に逢いたいという気でもなかった。早く決定しなければ堪らないと思った。幾代と兼子とが、既に決定したもののように先のことばかり考えてるのを見ると、彼は現在の不決定な状態に益々苛立った。電車の中に、乳母らしい女に負さってる二歳ばかりの女の子が居た。手に一枚の塩煎餅を掴んで、鼻汁を垂らしていた。粘っこい眼付で彼の方をじろじろ眺めだした。彼は不快な気持ちになって、遠くへ席を避けた。然しそのことが更に不快な気持ちを煽った。彼は電車から下りて、真直に家へ帰ってきた。

一日も早く解決しなければいけない、と彼は執拗に同じ考えをくり返した。然し自分から進んでどうするという方法はなかった。

そこへ瀬戸の伯父が、向うの返事を齎してきたのだった。彼は女中から知らせを受けて座敷へ飛んでいった。幾代と兼子とが、ちらと眼を見合して彼の方を顧みた。彼は反抗的な気持ちになって、わざとらしいほど丁寧に伯父へお辞儀をした。

「思う通りになったよ。」