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こをうばう
子を奪う
豊島 与志雄
「中央公論」1921(大正10)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 39,292 字 · 80 页
そういうことがよくあった。どうかすると縁側に立って、「お母ちゃん。」と口走ることさえあった。兼子が行くとその顔をじっと見てから、「お母ちゃま、お母ちゃまね、」と云った。
「お母ちゃん」と「お母ちゃま」とは、依子にとってははっきり異った存在であることを、彼は早くも気付いた。一方は敏子のことであり、一方は兼子のことであった。
彼は依子の心を思いやって、どうしていいか分らなかった。然し彼女がそういう所まで落ち込んでいる以上は、どうにかしてやらなければいけないと思った。またこのことを、兼子へ知らしたものかどうかをも迷った。けれどもこの方は、彼から知らせるまでもなかった。彼女の方でも早くも気付いていた。彼は兼子がこう云ってるのを聞いた。
「これからはお母ちゃんとお呼びなさい、ね。その方がいいでしよう。ちゃまというのは云い悪いから、ちゃんとするのよ。ね、いいでしょう。」
依子は首肯いてみせた。けれどもこう答えた。
「いやよ、お母ちゃまよ。」
「え、なぜ?」と兼子は依子の顔を覗き込んだ。
「そんなごまかしでは駄目だ」と彼は口を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)んだ。