轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
じっかんへのもとめ
実感への求め
宮本 百合子
「日本学芸新聞」1941(昭和16)年6月10日号
N3 · 进阶 · 新字新假名 · 1,813 字 · 4 页
国民文学について様々の論議があるのだが、それを私たちの文学の実感として感じとろうとするとき、この映画についての場合とそっくりそのままではないけれど、どこか共通のような、何となしまだしん底から湧き出て来る水脈に触れていない心持がある。
国民文学と呼ばれるからには、その作品が本当に日本の私たちの刻々の生のなかから生れたものであると感じさせる魅力と同感とを湛えているものでなければならない。深い美しさをもっていなければならない。私たちは生活というものを知っている、その精神でよまれて、そこに嘘のないことの感じられる意味で、真実のこもったものでなくてはならない。
こう考えて来ると、すべての作家たちは、これらの課題がつまりは全く根本的な文学そのものの生ける課題であって、その達成をめざして、めいめいにこれ迄も努力し、或は迷って来てもいたのだと思うしかないのだろうと思う。
国民の文学と呼ぶに足るものが其々のジャンルによって幾通りか生れ出て来るためには、人々の精神や神経のなかで文学がまともに置かれようとして、そこに腰が据えられてゆかなければならないのだろう。
この間高見順氏が文学は非力なものではあるがと、獅子と鼠とのたとえ話で非力なもののおのずからな力を語っていられた。